カテゴリ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ホテルボートのサービスを終了するお知らせをしてから1ヶ月が経ちました。 その後たくさんのお客様からFacebookでのメッセージを始め、メッセンジャーやWhatsapp、メール、国際電話などで心温まる労いの言葉をたくさん頂き、本当に有り難い気持ちでいっぱいです。 私達はお客様に支えられていたんだなぁとつくづく感じました。改めて、 今まで本当にありがとうございました! さて、その後どうしているかというと、各関係組織に廃業の報告をして、船舶保険の種類の変更やら、営業許可証の返金手続き、会計士との連絡など事務的な事をしていますが、先方もコロナ対策で事務所の人数を減らしている為か、担当の人がいないとかで、間違いがあったり、連絡が滞って保留にされたり、なかなかスムーズにいきません。イギリスだからかしら?😅 先日は1人ボートで整理を始めました。業務上の書類の片付けです。積み上げたら12.5cmありました! 断捨離第一段階なんだから! 目指せミニマリスト! 目指せシンプルライフ! 会計上保管しておかなければならないものがまだありますが、それでも多少はスッキリしました。 これから数を揃えていたグラスやお皿なども少しずつ減らしていこうと思います。 10月9日は私達の28回目の結婚記念日だったので、列車に乗ってWeston super mareのアンディに会いに行きました。コロナで最初にロックダウンになった3月から公共交通機関を利用していませんでしたが、列車を3回乗り継いで行きました。平日のお昼時だったからか、どの列車もガラガラ。私の周り5m以内に誰もいなくて十分すぎるくらいのソーシャルディスタンス、乗客はマスクをしてますが皆1人で移動しているので誰の話し声も聞こえませんでした。 結婚記念日は普段だったらまだクルーズシーズン中なので、特別な1日を過ごす事はありませんでした。マナーハウスや高級ホテルで贅沢な時間をゆったり過ごしたいと長い間夢見て来ましたが、今年はコロナ…。 そんな訳で、あえて部屋数が少ない個人営業の田舎のB&Bに宿泊して、そのすぐ近くのパブで夕食をして、こじんまりとプチお祝いする事にしました。 アンディとお泊まりしたB&BはAxbridgeという小さな町の外れにあるのんびりとした場所でした。行ってみたら部屋に置いてある備品や朝食のサービスの仕方、油を控えた調理の仕方なども私達のホテルボートととても似ていて驚きました。私達がナローボートでなくてB&Bだったら、きっとこうなっていただろうと思わざるを得ないくらい。 通されたお部屋は「RED ROOM」という、このB&Bでは唯一バリアフリーのお部屋との事。予約するのがギリギリだったからかな? お部屋の名前の通り赤かった!🤣 パブもB&Bのアドバイスで事前に夕食の予約してました。時間通りに行くとほかのお客さんと接触する事無く、Snug room(スナグとはホッコリと心地良くて安心できる小さな空間の事)へと案内され個室状態! 礼儀正しくもフレンドリーなイケメンさん😍がウェイターで、料理に合うワインも勧めてくれて、サービスも含めて全て大満足でした。 B&Bもパブもコロナ対策が素晴らしいくらいしっかりしていて何の心配もありませんでした。この大変な時期に個人営業のお店を応援したくなるのは、私達が個人営業だったからかもしれませんね。 B&Bをチェックアウトしてその夜はアンディの両親宅に立ち寄るつもりでしたが、お母さんから電話がありました。 「お父さんの具合が悪くて今救急車を呼んだ」と。 呼吸が浅く、ベッドから起き上がれないという事。 「…コロナ?…」 少し時間をおいて電話したら 「救急隊の人曰く血中酸素濃度が90%を下回っているけど、少し様子を見るって。」 「え〜っ!酸素足りてない?コ、コロナ?」 昼過ぎに再び電話。 「このまま自宅待機で様子をみる事になったけど大丈夫そうよ。お父さん今ベッドに起き上がってお茶飲んでる。今朝よりも呼吸出来るって言ってるわ。かかりつけの医師にも電話で説明したら、おそらく気管支炎だろうって。とにかくゆっくり休むように言われたわ」 という事で私達は両親宅を訪れる予定を変更してナローボート帰りました。アンディはボートに1泊して、翌朝またWeston Super Mareに戻って行きました。 お父さんがコロナじゃなくて本当に良かったです。あれからお父さんは完治して日課のガーデニングをしているようで一安心です! 本当に今までの普通が覆りましたね。現在イギリスは物凄い数のコロナ感染者数と死者数になっています。 思えば私達は田舎の運河に浮かぶナローボートという、言ってみれば「半自主隔離状態」の生活が普通のライフスタイルです。その私達でもひしひしと感じる普通が普通でない世の中になった訳です。陸の人にとってはもっと厳しく感じるのかもしれません。 しかし、変化した世の中を受け入れられない一部の人達によって感染者や死者数が増えているのは大変残念で悲しい事です。 EU離脱が決まり合意なき離脱になるやも知れぬイギリス、コロナ問題も抱えたままどんな未来に進んでいくのでしょう? イギリス内に居ながらにして、半隔離状態の細長いナローボートの中で思いを巡らせる今日この頃です。
#
by captainpook
| 2020-10-17 00:27
イギリスのロックダウンが段階的に解除されてから、来年の営業再開に向けてシングルハンドでイギリス運河をクルーズし、その様子を「お一人様クルーズ」と題してブログで紹介してきました。 しかしながら諸般の事情により、しばらく帰国することになり、廃業の決断をいたしました。 本来ならば、この時期に来年のクルーズスケジュールを公開するはずでしたが、ナローボートご乗船をお考えだったお客様には大変申し訳なく思っています。 1999年の創業よりお客様の温かいご支援の中、営業してこられましたこと、また創業時より今までお世話になった旅行会社の皆様、関係者の皆様に心より感謝申し上げます。そして突然の廃業でご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。 なお、このブログはナローボートをご利用いただいた皆さんとの出会いを大切にしたいので、時折不定期に私の近況等を更新して、これからも皆さんとコミュニケーションをとっていければ良いなと思っています。 ホテルボートの仕事は終了となりますが、ナローボートや運河の事、ハウスボートライフについて書くつもりです。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 #
by captainpook
| 2020-09-24 04:47
お一人様クルーズを終えて、Bidford on Avonに戻ってから、しばらく骨無し状態になりました。 まだ1人でクルーズしている途中、ホーム・モーリングに到着する1週間ほど前にイギリス在住の日本人のお友達から電話がありました。 倒れて救急車で運ばれて即入院。いろいろな検査をして結果を待っているところだという本人からの電話でした。 ホーム・モーリングに到着してから間もなく、「余命数週間の宣告を受けたのでお別れにママに会いに来てください」と娘さんから連絡を受けましたが、会いに行こうにもコロナの影響で面会制限があり、実際に会う事はできませんでした。 ビデオコールで短時間話しましたが時々辛そうでした。彼女は脳腫瘍でした。 そして入院から本当に数週間で他界してしまいました。 私の仕事柄、実際に会ったりできるのは1年に1回くらいでしたが、彼女が1人でロンドン市内の路地裏散歩した時や、運河沿い、水辺を歩いた時、得意の1人旅でヨーロッパに小旅行に出る度にメールがありました。 彼女の視点とユーモアがたっぷり詰まった旅のメールがもう届かないと思うと、言葉が出てきません。 イギリス在住の、数少ない日本人の友達を失ってから、眠れない日が続いて私は骨無しになりました。1人クルーズの途中だったら、しばらくそこから動けなくなっていたと思います。 Bidfordのボート仲間が適当に放っておいてくれつつも、気にして適当な間隔で声をかけに来てくれるのはありがたいと思いました。 そして今、実はWeston Super Mareに来ています。アンディがやって来て、私も一緒に連れて来られ、弟夫婦の家に来てお世話になっています。 アンディ家族は全員船好きの家族。 両親は数年前に自分達のクルーザーのエンジンに故障があった際に年齢的な無理を感じてボートを手放しましたが、私達はナローボート、弟はヨットを持っていて、1番下の弟はカヌーやカヤックです。 みんな私の1人クルーズを心良く応援してくれていました。 1人クルーズ終了直後に私が骨無しになって、アンディの家族がいるWeston Super Mareにボートセラピーに連れて来られた感じです。 ヨットを持っている弟は 「アンディがあつこをナローボート好きにできたのだから、今度はヨット好きにさせる」 と言っているそうです。 この所、天候が思わしくないので、セーリングに出るチャンスを見計らっていて、チャンスが来たらすぐに一緒に出られるように弟夫婦の家に待機しているようなものです。 私は正直なところ、友人の死のショックが大きい事に自分でも驚いています。 動揺して心がいつも震えているというか、少しずつ治まってきましたが、手も震えています。 9年前にもイギリス在住の同じ歳の日本人の友人を失いました。年齢の近い日本人の友達がこの世を去って行くのを見て、いろいろ考えさせられます。 そんな訳で、アンディやアンディの家族に従って、運河のナローボートから場所を変えて、弟のヨットでボートのセラピーを受けて、しっかりしようと思います。お天気次第ですが…。 写真は弟のヨットです。 #
by captainpook
| 2020-08-25 15:12
WilmcoteからStratford upon Avon、 Stratford upon AvonからBidford on Avonと2日間に分けてクルーズし、ホーム・モーリング(停泊場)に1年半ぶりに戻りました。 今回のWilmcote Flightの連続ロックにはちゃんと運河に水がありました! ロックキーパーズコテージの窓から真っ赤なAt Ease号が見えたと言って、ピートがわざわざコテージから出てきて私のロック作業を手伝いながら質問攻めでした。 「どこまで行ったの?エンジントラブルは無かった?他の運河の状態は?ボートは多かったか?1人で大丈夫だったか?」たくさんの質問に答えたり、クルーズ中にあった事、見た事を話してから私が 「Stratford upon Avonやこの運河は何も変わった事はない?」と聞くと、ピートは私に一歩近づいて言いました。 「ちょっとした戦争が始まったんだよ。」 「戦争?」 「ホームレスのジャック・ザ・ネイビーとソーシャルワーカーの戦争だよ」 「ジャックはそういう宿泊施設に行きたくないって言ってたのは知っているけど、何かあったの?」 「ソーシャルワーカー達が頻繁に来るようになってね。ある朝また2人組でやって来たんだけど、ジャックはその時テントに居なかったんだよ。そしたら2人のソーシャルワーカーが、ジャックのテントの周りを黄色と黒のハザードテープでグルグル巻いて立ち入り禁止にしちゃったんだ。もちろんジャックはテープを剥がしてゴミに捨ててたけどね。少しエスカレートして来たよ」 「そうなんだ…。」 2人で長々とロックで話していたらボランティアロックキーパーが歩いてきました。ピートとのおしゃべりを終わらせなければいけない雰囲気をピートも私も察知して、「元気そうで良かったよ。じゃぁSee you soon!」と言ってピートはコテージに帰って行きました。 そして見慣れないボランティアロックキーパーが連続ロックの3つを手伝ってくれてトントンと進み、ジャックのテント横のロックに来ましたが、ジャックの姿はありませんでした。ジャックの自転車もなかったので、きっと何か買いに出かけているのだと思いました。 ボランティアロックキーパーが、私に 「1人なの?」と聞くので、 「そう、1人よ」と答えると、驚いた顔で 「ボート歴はどれくらい?」 「うーんと、21年、今年で22年目」 「何だって? 21年?」 「うん、21年。」 「君はいったい何歳なんだい?女性に聞いちゃいけない事だけど…」 「あら、若く見えた?私52歳よ」 「52歳?」化け物を見るかのようなリアクションです。 「良く見るとシミ、シワ、白髪もたくさんあるでしょ、ほら。」と帽子を取ると 「本当だ白髪あるね。35歳くらいだと思ってたからボート歴21年ってびっくりしたよ」 「35歳と言ってくれてありがとう!コロナじゃなければ抱きしめちゃうわ!」 内心「本当だ白髪がある」って指差す事は無いと思いましたが、適当な会話をして3つのロックを通り、ボランティアロックキーパーとはお別れ、私は少し距離の離れた次の3連続ロックに向かいました。 すると、この3連続の途中で向こうからジャックが自転車を押して歩いて来ました。 「やあ、1人旅はどうだったかい?」 私は2ヶ月の旅を要約して話しました。ジャックに直接ソーシャルワーカーとの戦争を聞いてみようかとも思いましたが、ジャックのからテントの事などを話す気配がなかったので、話題にするのはやめました。でもいろんなボートの話しに花が咲き30分は立ち話をしていたと思います。 楽しく話していたら後ろからナローボートが来たので、私は動かなくてはいけなくなり、ジャックに「またね〜」と言って次のロックに進みました。ジャックの顔が見て、何だか少し安心しました。 Wilmcote Flightを終えて、出発時にスーパーのカートが挟まって開かなかったロックに到着、今回は問題なく通過して、ロックダウンで停泊していた場所に泊まる事にしました。 ロープでしっかりとボートを舫ってから、外出禁止中に飽きるほど見た運河の景色を見渡しました。 「ここから出発したんだ。この2ヶ月で私は何かを得たのだろうか?」 答えは分かりません。 今は2ヶ月を無駄にした訳ではないだろうと漠然と感じているだけです。もっと何年も後になってから、何かもう少し具体的に見えてくるのかもしれませんね。というか、そうであって欲しいです。 日が暮れる頃、対岸に停泊しているボートから「お帰り〜!」と電話がありました。ロックダウン中にお友達になり、電話番号を交換したダイとクレアの夫婦です。奥さんのクレアは私と同じ年齢で、私の父と近い年齢のお父さんの家事手伝いで毎日自立型ケアハウスに通っていました。電話の話しによると、彼女は私が出発した後で転んで腰の骨を折り、一時はお父さんより動けなくなったとの事。現在リハビリ中で、入院中は1人でクルーズに出掛けた私の事を羨ましく夫婦で話していたそうです。 私は1人でクルーズに出れて、本当にラッキーなのだと実感しました。 Bidford on Avonの停泊場でボートに住んでいる友達の女性、Margからまた電話がありました。 彼女はこの2ヶ月頻繁に電話してきて、 「今どこ?私も一緒にクルーズしたいの。いつでも良いから呼んでね。いつでも都合つけるから。」と何度となく「一緒に連れて行って!」をアピールしていました。彼女は10年前にご主人を亡くしてから自分のボートを1人で操船できなくて、チャンスが有れば誰かのボートに一緒に乗ってクルーズをしています。アンディや私が操船を教えると言っても、この停泊場以外の場所で1人で泊まるのは嫌なのだそうです。そんな訳で彼女は動かないハウスボートと化したボートの中で相当暇を持て余していたのだと思います。気持ちは分かりますが、ロックダウンが解除と言っても段階的な解除で、親族でない別世帯の人が一つのボートに乗れるようになったのはつい最近。それでもソーシャルディスタンスなど、2mの幅のボートでは無理な話しです。 でもこのまま1人でBidfordの停泊場に戻ったらMargがひねくれそうなので、Stratford upon AvonからBidford on Avonの停泊場まで一緒にクルーズする事にしました。もし1人だったらエイボン川の途中で最後のお一人様停泊をするつもりでしたが、Margが私のボートで宿泊しなくても済むように、一気にBidford まで帰る事にしました。 エイボン川はAvon Navigation Trustの管理ですが、驚くほどメンテナンスが悪く、怒りさえ感じました。Covid-19を理由にスタッフ1人でできる簡単な日ごろのメンテナンスも怠っているのが明らかでした。 水の調節をするパドルは壊れたまま、ゲートは泥が溜まり1人で押し開けるのは不可能に近く、ベタベタと貼られた「ソーシャルディスタンスを守って安全なクルーズを!」という張り紙を無視して2人並んで押すしかない状態でした。 張り紙をロックに貼って回る前に、1人の労力でロックができるようにメンテナンスをするべきだと思うのは私だけでは無いはずです。 アンディと普通にクルーズすれば4時間半、私1人でも5時間で行けるクルーズは6時間もかかり、途中雨に降られたりもしましたが、気温が高かったので濡れた服もすぐに乾いて、ついに1年半ぶりにホーム・モーリング(停泊場)に到着しました。 同じ停泊場にいる、数年前までスペインに住んでいた定年退職者のMikeが、ボートヤード内で私が停泊ポジションに動かしている途中、舳先に出て来て 「久しぶり!やっと帰って来れたね。」と手を振って迎えてくれました。ロープを舫ってエンジンを止め、Margとワインボトルを開けていたら、ボート整備を仕事にしているもう1人の若いMikeも仕事から帰って来たようで、エンジンオイルで黒く汚れた手のまま自分のボートからビールを片手にやって来て、自分のお尻がエンジンで汚れていない事を確認してから、私の隣のボートに腰掛けて近況報告と仕事の愚痴が始まりました。(彼はユーモアのある人ですが、何をやってもスムーズに事が運ばずに、いつも誰かにその日のトラブルを話してストレスを解消しています。早く彼女が出来たら良いのですが…。) しばらくすると、ボートヤードの兄弟オーナーの1人、Davidもやって来て、小さなボートヤードの為、これでほぼ全員集合、それぞれのボートの舳先に乗ったまま、「お帰り!」と乾杯してくれました。 家族経営でアットホームな小さいボートヤード、オーナー兄弟の親の代からずっとお世話になっているボートヤードが私達のホーム・モーリング(停泊場)です。 Margが一番古株でその次が私達。昭和の日本の近所付き合いでは無いけれど、「紅茶が切れた!」とか「ミルク貸して!」という関係。「ボートのポンプの具合が変なの」と言えば、ボートヤードの皆んなが助け合い、誰かの誕生日だと言えば乾杯に集まり、時には一緒にパブに行ったり、インド料理を食べに行ったり。 「帰ってきた」という気持ちにさせてくれる場所です。 これから来年のシーズン開始までの間、ボート仲間に囲まれてAt Ease号はハウスボートになります。 昨年の4月からフル回転のボートシーズンを終えてもホーム・モーリングに帰れず、寒い冬を私達のケアなく、貸しボート会社の端っこでポツンと過ごしたAt Ease号、2月からは私達が乗ってはいるものの、エンジン整備はオイル交換と各フィルターの交換しか出来ずに、そのままロックダウン。そして6月からは私と一緒にロングクルーズと、At Ease号も相当に疲れているはずです。ゆっくりと休憩させてあげたいと思います。エンジン整備や塗装などで労ってあげて、来年快調なスタートができるように準備していくつもりです。 6月からクルーズして来た赤い線が、出発地点と繋がり赤い輪になりました。 そしてBidford on Avonまで延びて、久しぶりのミニ冒険、イギリス運河巡礼の旅「お一人様クルーズ」を無事に終了する事ができました。 このクルーズを機会に昔登録したブログを復活させて「お一人様クルーズ」の様子を書いてきましたが、せっかくなので今度はシーズン開始までの間、不定期ですが(今までも不定期でしたが😅)、ハウスボートとしてのライフスタイルを時折書いていこうと思います。 ブログで一緒にクルーズしてくださり、どうもありがとうございました!😊
#
by captainpook
| 2020-08-10 10:01
| お一人様クルーズ
アンディがボートに来ました。3回目の訪問です。 アンディがどのくらい離れた所にいるかを地図にしてみました。 バーミンガムで11:00頃に会う約束をしたので、私は早朝にBrierley hillを出発するつもりで身支度を済ませました。 エンジンのチェックの後、いつものようにキーを回してエンジンをスタート! のはずですが、スターターモーターが苦しそうな音をたてるだけでエンジンがかかりません。 私が13年前に1人でボートに乗っていた頃、前のボートでも同様の事がありました。その時はメンテナンスの人を呼んだら、 「古くなると詰まるんだよ。」と言って、ハンマーでスターターモーターをガンガン叩いてエンジンがかかりました。 「これは応急処置。その内に部品交換になると思うよ」と説明されたのを思い出しました。 私もアンディのハンマーを出してきて、スターターモーターを何度か叩いてみました。 結果は先程と変わらず、エンジンはかかりません。 何だかモーターが痛そうで可哀想…。 更に強く叩く? いや、壊れたらもっと大変。 もしかしてバッテリーの劣化かな? 今度はアンディの電気関係の道具箱からデジタルマルチメーターを出してきて、スターターバッテリーの電圧を確認。 12.9V 「⁇ 何も悪くないじゃん…。何で〜?」 あれやこれや悩んでいる間に時間だけが過ぎていきます。 アンディに電話をして事情を話したら、カーナビの目的地を変更して私の停泊しているBrierley Hillに来てくれる事になりました。 ウェルカムコーヒーを飲みながら、エンジンの症状とバッテリー電圧の報告をし、コーヒーを飲み終えたらアンディは直ぐにメンテナンス用のオーバーオールを着て、エンジンチェックを始めました。 そして私がやったようにバッテリーの電圧をチェック。やはり12.9Vです。バッテリーに計測棒を当てたまま、私に「エンジンをかけて」というのでキーを回すと、急激に10Vに落ちてスターターモーターが苦しそうな音をたてます。 「10Vでは無理だよね。」と言って、ジャンプリードを出して他のバッテリーに繋ぎキーを回したら元気よくエンジンがかかりました。 という事でバッテリーの劣化が原因。 問題解決しましたが、ジャンプリードだったら私でもできた…。 勉強不足にて反省…。 私達は普段ホテルボートの運航の為、スケジュール通りのクルーズが必須で、整備不良でクルーズスケジュールを崩す事ができません。こんな時の為の予備のバッテリーを1つ積んでいたので、ついでにアンディはバッテリーの交換もしてくれました。スターターモーターの交換にならなくて本当に良かったです。 でもせっかくの休みで来たアンディに到着早々メンテナンスをしてもらって、申し訳なく思いました。 エンジンが快調にスタートしたので、ランチを済ませてクルーズです。 ロックを1つ上り、タイタニック号のアンカーとチェーンを作ったネザートンを通り、2768mの長いトンネル(Netherton Tunnel)を抜けて、BCN (Birmingham canal navigation) に入ります。 ちょっと掘り下げたお話! タイタニック号は北アイルランドのベルファストで造船されましたが、アンカーとチェーンはここブラックカントリーのネザートンで作られました。当時最大級の手作りアンカーと手作りチェーンだったと言われています。 1911年に出来上がったアンカーを最寄駅のDudley(ダドリー)まで20頭の馬で引っ張って行き、蒸気機関車でランカシャーのフリートウッドまで運んで、貨物船に搭載してベルファストまで運ばれたそうです。 2010年にそのタイタニック号のアンカーのレプリカが作成され、設置場所が決まるまでの1年間ブラックカントリー野外博物館に展示されることになり、当時の工場からダドリー駅まで20頭の馬で運んだ状況を再現するイベントがありました。 これが1911年の様子。 そして下の写真は1911年を再現した2010年の様子です。 話が外れてしまいましたが、このネザートンには3km弱の長いトンネルもあります。 昔のトンネルは電灯が無くて当たり前ですが、レジャーで復活した運河なのでトンネルの中に電灯をつければよいのに、そこは動物愛護の国イギリス。トンネルにはコウモリが住むので、電灯はありません。都市部の一般市民が歩道として使うトンネルには、コウモリの迷惑にならないように薄暗い明りが取り付けてあります。ネザートントンネルにもコウモリが飛んでましたが撮影できなかったので、ストラトフォード運河にあるブレンドウッドトンネルで飛んでいたコウモリの動画を下記に見れるようにしています。 BCNに入ってからはバーミンガムまでとにかくひたすらクルーズです。昔の工場跡やバーミンガムの中とは思えない程に緑に囲まれたエリアもあります。そしてバーミンガムの中心に入るとやはり人が多い…。 20年前は「危ないから停泊を避けた方が良い」と言われるバーミンガムでした。 現在は昔の倉庫などの面影を残した水辺開発をして、トレンディなレストランやホテルが立ち並ぶ運河沿いは、セキュリティーカメラも多く、訪問者停泊場所が足りない程のホットスポットへと変わりました。 でもアンディは人混みが嫌いなので、中心部を通り過ぎてバーミンガム大学の緑の多いエリアで停泊。 翌日はチョコレートのいい香りを楽しみながら、イギリスの代表的なCadburyチョコレート工場の前を通過。北Stratford upon Avon運河へ入り、トンネル1つ、跳ね橋3つを通り、緑の中をどんどん進んでLapworth Flightの手前で停泊。 次の日は朝から9連続ロック、その後すぐに適度な間隔でロックがありKingswood Junction。南Stratford upon Avon運河に入り。とんとんWootton wawenまで来て停泊。 翌日は午前中だけクルーズでStratford upon Avon一歩手前のWilmcoteまで来てしまいました。 私1人の時は無理せず1日3時間程度のクルーズでしたが、アンディと一緒だとガンガン進みます。 1日のクルーズ時間は平均7時間前後。距離にして約60㎞、ロックの数38、跳ね橋3つ。 アンディはWeston super mareに帰って行きましたが、私は1人で力が抜けたように疲れて、へなちょこになってしまいました。 次は1人でWilmcote Flight 12連続なので、その前に少し休養する事にします! アンディとの3日ちょっとの長距離クルーズを8分の動画にまとめました。 #
by captainpook
| 2020-08-06 02:07
| お一人様クルーズ
|
ファン申請 |
||